アイデンティティ霧散
「なにをしたかったんだっけ」
日々息をするのがお億劫になる職場で生きていると、確かに自分が決めた職場だけれど、なんのために職務をしているのかわからなくなる。自分が見たいと思っている世界の足掛けになろうと、なってほしいと願っているものの。どこか空虚で光が見えない。
最近とんでもない夢を見た。
鏡で自分見て、自分が頭に酷い外傷をおって頭蓋骨がなくなり、脳が丸見えになって状況で先輩の同僚に「どうしたらいい?」と尋ねたら知らないと言われて、強い怒りと憤りを覚えながら起きた。
寝る前にトラウマ関連の情報に触れたからだと思うが、日々の労働環境に対して酷い傷つきを感じていてどうしたらよいか戸惑っていることでもあると思う。ひどいグロテスクをみた。
よくそんなグロテスクな毎日を過ごしていて生きていられると思う。
「あなたはよく頑張っている。とても。」
時代の要請によって生きている感じがする。その時代の要請は私にとっては大変つまらないが善さが先行する。長期入院から地域へは何十年も言われてきたが、今年の法改正は本腰を入れたし、先行する形でメンタルファーストエイド事業も始まった。政府が国民の生活を蔑ろにした経済政策を、援助職や国民の無償のケアによって穴埋めされていることに大変憤りを感じているが、政策としてはメンタルファーストエイドをとおして、精神障害者への偏見を心理教育によって軽減させようと目論みがあるように思えてならない。国民にケツをふかせるのは気が進まないが国は国民なしにはなりたたない。収容政策を是認する国民に対していい加減にしろということだろうか。
積極的服従の果て
「私たち奴隷だからさ」
正義を行う職業からそんな言葉が聞かれる。
はっきりと申し上げるが、クソだと思う。正義も行えないサービス調整者でただのサラリーマンだ。そんな人を尊敬しようと思わない。無理くり尊敬しようとしてきたが、卑下するような先輩はいらない。失敗を自己開示して後輩に道と希望を照らすような人であれば、尊敬してついて行きたいと思う。
だけど、なんだろうか。人と人、人と環境の構造をたたいて凸凹を少なくし、真っ当な生き方を作るのがソーシャルワーカーではないか。積極的服従はそうした理念から程遠い。糞食らえだと思う。
私がみている景色は共有されないままなのだろうか?
正しいことを正しいと言って、おせっかいを行って悶着がある真っ新で味がある景色が。
それと自分が行うことがなんの抵抗もなく行える環境と時期が来て欲しい。いつぞやの解体業ではほんの束の間だったけれどあった。まぁそれも妬みそねみで霧散したが。
いちいち何をするにしても伺わなければならないのは、初学者の宿命かもしれない。けど前もって指導もしないで文句だけ垂れ流すのは、先輩として下の下だ。糞食らえ。
腰を据えて長く仕事がしたいが、どこならそれが叶うのだろうか。無論、自分自身が大変であっても耐え抜く、学び抜くマインドセットが必要なのはわかっている。やっと学びどころがわかってきたのだ。そんな折に退職を検討しようとしているのはバカにも程があると思っている。しかしながら、合う合わないが人にはありふれて存在しているし、自分が悪運として職業運が微塵もない。うんざりしている。だけど、そうしたのもボタンのかけ違いであって、いつかはいい職場と思える自分を作り上げて行かなきゃいけないのかなとも思う。
けど、こんだけ頑張って報われなさはないなぁ。上を向く螺旋階段なら飽きたとしても意味があると思える。でも報われなさの螺旋階段だったら、同じマインドセットになるのが人の性。
「積極的服従の果てに未来はない。犬にもなれない家畜はミンチになるのみ」
身体とその行くへ
「もううんざりだ。意味もなく行動することに」
人間は意味を探求する生き物だ。ゆえに意味をなさない、見出せないことには耐えられない。けど有意味だけが人の人生ではなく、無駄な遊びをしている時のほうが生きている実感を得られることもまだ事実だ。この一年半、夢見た職業についたが結果としてそのこと自体は幸せで、「私を殺さないものは私を一層強くする」強くした。が、この職場では心が死ぬ。これまで無計画な落胆で命の危険性を孕んでいた時期があるが、それは自分が掌握できる範囲であったけれども。今回ばかりは神経症レベルでは到底ない。命の危険性がある。
対人支援の疑問として、援助活動を通して支援者が病気になるのかと素朴な疑問だったが、今ははっきりと言える。状況が悪ければ病気になって死ぬと。それもクライエント由来よりかは労働環境と不条理な理念によって死ぬ。スーパービジョンやカウンセリングを検討するときではない。そうした環境から一刻も早く逃げ出さなければならない。個人的に記事を書く時には仰々しくても直線的に書かないように心がけているが、死ぬ。
会社への貢献や社会貢献というのは、己の行動が結果的に伴うから果たされるのであって、最初から目指すものでは無いのでは無い。そもそも自分のことが好きな人にとって健康で生活しているだけでも貢献しているし、大病にならないでいることは税金を投入しないでも済む。もちろん必要なときに税金を投入することは大切だと思う。
長いこと怒らないように過ごしてきたように思うが、怒ることにする。
アイラミスト
久しぶりに文章を書くのはやはり、大変なことだなぁと感じている。
もう何年も前に友人から、文章を書くときは何か怒りを感じている時だと言われたことがあるが、あれは本当だともう。怒り。私の怒りは正義だと言わんばかりだったと思う。
今もそれはどうだろうか、その頃よりも年月を重ねたと思う。DiaryNoteの他に何かいいブログサービスがないものかと思ってDiaryを外したブログサービスを使ってみたこともあったけど、勝手に改行されてしまうからやめてしまった。それで小銭を稼げたらいいと思ったんだけど、どうもそうは問屋が下さなかった。
このはてなダイアリーは勝手に改行しないし、それなりに論者がいるとこのようだから、まぁいいのかなぁなんて、疲れた頭で薄いキーボードを叩いている。それでもあの日記よりも機能が充実しているから使いこなそうにも果てしない。
自分の口から使いこなせそうにもないなんて、書くとはそれもまた年を経たなとおもう。
30歳の時に思い切って30歳になってという文章を書いてみようと思ったけれど、書けずじまいだった。バーンアウトしていた。それはもう、人生が楽しくなくて。人生が楽しくないっていいたくはなかったけれど、だれがどうみても楽しくなかったんじゃないかな。知らないけどさ。けどまぁ、今は長年の夢だった対人援助のライセンス取得して、恋人ができて、数年経ち。昨年は就職を機に引っ越して同棲をはじめた。こう書いてみれば、順風満帆だろうけれど。それにしても、自分の弱さなのか悪い縁なのかわからないけれど、職場はハズレくじを引いたことには変わりない。久しぶりにウィスキーをあおっている。アイラミスト美味。
いろんな理由をつけて今は仕事を続けているけれど、正直なところ、明日にでもやめたい。でもどうしてだか、V.E.Franklのロゴセラピーなのかわからないけれど、辞める口実に蓋をしている自分がいる。それはもちろん、このたった一枚のライセンスをとるのに費やした膨大なコストを回収できないからというのも、当然ながらある。けれども、なんでか解らない。
もう、精神科病院というこの世の不条理を現実にした場所から逃れたいと思っているはずなのに。就職してカルチャーショックは沢山あったけど、異業種からの転職だったし、折込済みだった。けど、人と人との間に入るのがこんなにも大変なのは想像力が足らなかったし、人間が人間を管理する地獄を目の当たりにするとは、本当に思わなかったよ。支援者から用済みって評されるのって、ビジネスとしてもあんまりじゃないですかね。身寄りがない人の転院を人権侵害とも捉えない人権団体の理事。これらは明確なトラウマになりました。
とある精神科医がpswをスレイバーと評したことがあったけど、キャリアアップの通過儀礼としてスレイバーになっていくのって、違うんじゃないんですかね....?
そうした現実にバザーリアンになっていくのは至極自然のように感じます。うんざりして、業界からやめていくのも解ります。自分の幸せ、この身に宿った正義感との妥当性は何処にあるのかとずっと問いています。もう、正義感を放って、私生活だけを充実させればいいのかと強く思い始めてもいます。でも、20代数々の恩送りをうけて、たくさんの言葉をもらって。そんなわけにはいかないじゃないですか。
「意欲とは。あわよくば、私に、こんな事が出来るんじゃないかというある種の奢りがあるこそ、人は学ぶことができる」
本当に素敵な言葉だと思う。
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二者択一ではなく、妥当する現実を
あとどれくらい仕事を続けたいか?自分だけの幸福の追求を展開するのか?